きのおもむくままに
記事一覧知は承認欲求を満たすためにあるものではない.飾るものではない. 純粋なものからなり,思索の世界を進むための拠り所である.
邪心は知を曇らせる.一時何かが満たされたとしても,何一つ変わらない世界がそこにあり,時間だけが過ぎている.
草刈りをした.
胸の高さまである雑草が目の前に広がっている.
その中を草刈り機で真っすぐに刈り進んでいく.
草むらの中には何がいるかわからない.
きっと虫や蛙や,蛇がたくさんいるだろう.
不安や危険とまではいかないが,わからない道を進んでいくあの感覚がある.
後ろを振り返ると,一本の道ができ,一匹のシマヘビが畑から逃げるのが見えた.
草刈り機が畑の端までくると向きを変え,来た道を広げながら草を刈っていく.
何も考えず,それをただひたすら繰り返していく.
草刈り機のホイールと雑草の切れ目を合わせるように集中しながら.
何か出てくるかもしれないという程よい緊張感の中,草と草刈り機だけを見ている.
そうしているうちに,畑は綺麗になり,心も綺麗になった.
全てが自然で飾り気がない.
他人も孤独も一切存在しない時間.
他人の目を気にして,権威を気にして見た目を飾る必要も意識もなく,内面への思索の埋没もないあるがままの自然な姿.
幸せの中にいた.
草刈りをするための健康な体.程よい緊張感と達成感.そして草刈りのことだけを考えること.
なぜ草刈りが必要なのか.草刈りをするメリットは何か.生産性はあるのか.
そんなことは一切考えない.
他人より多くの草を短い時間で刈ることも一切思い浮かばない.
ただ草を刈る.そこに小さな達成感と幸せがあったのだ.
生産性を上げることは,他人との相対関係を変えようとする気持ちに繋がりやすく,コントロールできない他人との競争は,羨望や嫉妬,劣等感,優越感に繋がる.
さりとて,社会全体がそう仕向ける以上,そこから完全に逃れることはできない.社会全体から完全に切り離された生活を続けられるかといわれれば,おそらくそれはノーである.
ゆえに生産性を中心に据える現代社会に適合するための時間と,幸せになるための時間は分けねばならない.
幸せになるための時間が知的な時間であれば,その知は他人のためではなく,純粋に自分が楽しむものでなくては嘘だと思う.それを共有できるのは,他人のためになるのは,疑う余地なく素晴らしいことだろうが,まずは純粋な自分のための,自分のためと意識しない,自然に湧き上がる活動が前提である.
知りたいと心から思わないときに無理に本を読むのは,満腹時に食べるご飯と同じである.どんな高級な思想も,体が受け付けない限り,その素晴らしい味は半減する.
そして食べてばかりでも成長できない.食べてばかりいて成長できるのは最初だけである.
実践し自ら考えることで,思考は鍛えられ,見たり読んだり,聞いたりしたものを吸収し血肉とすることができる.
こうしたことは,食事の場合には分かりやすいが,知的な面でのこの理解は遅れている.食べ過ぎで運動しない者.食べずに元手のない体で何かを絞り出し大きく見せようとする者.
運動する時間が惜しいと思う者は,他人の思想に支配され,自ら考える力を失う.
食べることを好まない者は,貧弱な体となり,遠くまで飛べない.
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