まめいろん

きのおもむくままに

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4 August 2019

ものを書くということ

ものを書くのは難しい. 何が難しいか. 対象を曇りなく見ることが難しい. 対象に対する純粋な興味が常に沸いてくるわけではないのが難しい.

興味というものは,それが嘘偽りなく内面奥深くからきたものであれば,寄せては返す波のように,定期的にやってくるものだ. しかし不自然な動機に基づく場合はそうはいかない. したがって,ものを書く上で最も大切なのは,純粋に興味深いテーマを選ぶことである.

純粋な興味に基づく場合は,素材を選んだ後,中心となる思想や考えを持つように自然と思索が始まる. 不純な動機に基づく場合,あらゆる方向から誘惑の力が働き,思索の方向は対象に戻ることはない. 結果として,その背骨は歪んだものとなるか途中で折れてしまう.

中には非常に強い野心や生活のために興味のないことを無理矢理書こうとする者もいるが,大抵は読めたものではない. 仮に面白いとしても,序盤だけ面白いとか,中盤だけであるものが多く,締まりのない印象になるはずである.

また読み手が楽しむように工夫するのは大切だが,骨格が固まらない段階でそれを意識するのは本末転倒である. 中身が無くてはどんなに華美に彩ろうとも,そもそも意味がないのだから.

紡いだ思想は,肉が付き重くなる前に,それ自体として何度も検証されるべきである. これは自分の思想を整理する上でも大切だし,後の苦労を減らす上でも大切である. 重くなったものを変えるのは時間がかかるし膨大なエネルギーを要する.

考えがはっきりしてきたら,今度は思想を分解する. その骨格がどのような構造をしているのかをイメージし,読み手を意識し,ダイアモンドを加工するような気持ちで,人にも自分にも分かりやすいと思う角度から光を当て,一つ一つ確かめながら思想を切っていく. この分解作業は作品を完成に導く製作段階でも非常に重要である. 長い作品を一筆書で最初から最後まで書ける者は少ない. そんな天才を見たことがないし,そんな真似は少なくとも私にはとても出来ない.

筆の進みは大抵,その時の気分や体調に左右され,楽しい描写,苦しい描写など,書ける部位は日によって異なる. 思想を正しく分解しておけば,その時々に持っている生きた考えを,作品の骨に生きた血肉として付加できる可能性が高まる. 加えて全体の正しさを感じ安心しながら筆を進めることが出来る. 全体には詩的で美しいものに対する感性が,部分やそれらを結びつけるものには論理の力が大切だと思うが,これらを同時に行うのは普通の人間には難しいと思う. だからその時の気分に身を任せ,論理と感性の間を行き来するように自然体で書くのが一番だと思う.

個人にとって大切な価値観である幸せとか,知性とか,愛とかいったものに純粋な興味を抱く人にとっては,仕事として締め切りに追われる職業作家は本質的に難しいのではないかと思う. 仕事は生きるために,時には何か大切なものを犠牲にせねばならない. しかし何かを犠牲にすることで,その人にとって大切なものの本来の意義を失ってしまっては意味がない.

tags: 思索,著作